5.地域ごとの特色
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追浜・浦郷・田浦・長浦 | 逸見、汐入、平成町、横須賀中央 |
坂本、池上、衣笠 | 三春町、大津 |
鴨居、走水、浦賀 | 公郷、小矢部、森崎 |
大楠、長坂、武、長井 | 岩戸、粟田、久里浜 |
北下浦、津久井、野比、長沢 |
追浜・浦郷・田浦・長浦
追浜地区(おっぱまちく)
自動車かんけいの工場や船をつくる工場が多く見られます。
浦郷(うらごう)小学校
1922(大正(たいしょう)11)年のしゃしんです。「しゅう身(しん)」という勉強をしています。
小学校 ドッジ・ボール?いや、バレー・ボールのようです。1925(大正14)年のしゃしんです。
船越(ふなこし)小学校
わたしは、明治43年に入学したんですが、1年生のころは、国語の読本(とくほん)や算術(さんじゅつ)の本や、修身(しゅうしん)の本などといっしょに、石盤(せきばん)や石筆(せきひつ)もふろしきにつつんで、学校へ行きました。
長浦(ながうら)小学校
わたしは、1940(昭和15)年ごろにへかよっていました。校しゃは、木のニかいだてでね。入口の所に“足あらい場”がありました。体そうの時間は、紅白(こうはく)のはちまきをして、マラソンたびという白いたびをはいてやりました。はだしでやった子もめずらしくなかったのよ。
追浜(おっぱま)
浄化センター(横須賀市4つの浄化センターの1つ)
船越(ふなこし)新田
永島十郎左衛門(じゅうろうざえもん)(泥亀の子)によって、1699年(元禄(げんろく)12)年に開かれたといわれています。
蒲谷(かばや)新田
蒲谷又右衛門(かばやまたえもん)という人によって、開発(かいはつ)されました。工事は、1879(明治(めいじ)12)年に一応(いちおう)完成しましたが、田畑として完成したのは、明治もおわりごろになってからと伝えられています。
逸見、汐入、平成町、横須賀中央
横須賀港
港(長浦港(ながうらこう)・横須賀本港(ほんこう)・横須賀新港(しんこう)・浦賀(うらが)港・久里浜(くりはま)港など)
横須賀本港
むかしぐんかんの入る港でした。長浦港(ながうらこう)の一部とともに、アメリカ軍や海上自衛隊(かいじょうじえいたい)に使われています。
横須賀新港
おもに外国にうる自動車がつみ出されています。
横須賀の港
国内だけでなく外国へ船が行ったりきたりしています。となりの千葉県(ちばけん)とは、久里浜港から出るフェリーでむすばれています。フェリーは、人や乗用車・バス・トラックなどをつんで行ききしています。
小川(おがわ)町・大滝(おおたき)町・若松(わかまつ)町
うめたてによってできた町です。ここには、市役所・けいさつしょ・ゆうびんきょくなど、わたしたちのくらしにやくだつたて物があつまっています。大きなデパートや多くの商店があつまっているので、多くの買い物きゃくのすがたが見られます。
平成町(へいせいちょう)
平成4年に埋め立てが完成(かんせい)し、工場や、家などがたてられて、新しい町がつくられています。また新しい港もでき使われています。
横須賀
今からおよそ140年前の横須賀は、人や荷物が集まる港町でした。そのころの人びとは、遠くへ行くのには船で行くのがふつうで、となり村などへ行く時は、山の尾根道(おねみち)などを歩いて行きました。
JR(ジェイアール)横須賀駅
「船をつくる工場は、フランス人のヴェルニーや小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)たちのくろうによってつくられた」りん海公園に、2人の像(ぞう)がある
広げようとした道(京急逸見駅前)
ばくげきをさけたり、軍にひつような物をたくさん運ぶために、道を広げようとしましたが、戦争にまけて中止(ちゅうし)になり、そのままとりのこされてしまいました。
みなと祭り
1947(昭和22)年に第1回が行われ、そのころは、「黒船まつり」とよばれました。毎年、50ぐらいの音楽隊(たい)やかそう行列(ぎょうれつ)などのさんかがあり、横須賀を代表する市民(しみん)イベントとして、にぎやかに行われています。
横須賀中央
テレビカメラで写ったものは、けいさつしょのモニターで見る事ができ、これは、交通かんせいセンターへ情報(じょうほう)として送られます。
汐留(しおどめ)新田
1811(文化(ぶんか)8)年に開かれました。だれが開発したのかわかっていませんが、永島卯兵衛(うへい)の先祖(せんぞ)ではないかといわれています。
坂本、池上、衣笠
衣笠(きぬがさ)
駅のまわりにたくさんの商店がたちならび、にぎやかな町になっています。
衣笠(きぬがさ)小学校
衣笠(きぬがさ)小学校ができる前の「北小学校」のようすです。衣笠(きぬがさ)小学校は、この北小学校と南小学校とがいっしょになって、1908(明治(めいじ)41)年、今のところに校しゃができました。(このしゃしんは、明治のはじめごろのものです。)
光心寺(こうしんじ)(衣笠栄町1丁目)
今のベースの中にあったお寺です。軍(ぐん)のしせつをつくるためにたちのかされました。この時、神社や家など、400けんぐらいもいっしょにたちのきました。
上町(うわまち)
浄化センター(横須賀市4つの浄化センターの1つ)
三春町、大津
馬堀海岸(まぼりかいがん)
近くには多くの家があります。ここは、むかし、海水浴場(かいすいよくじょう)でしたが、大(だい)きぼな埋め立てが行われて、いまのようなじゅうたく地になりました。
大津(おおつ)小学校
1899(明治32)年のそつぎょうしゃしんです。
下町(したまち)
浄化センター(横須賀市4つの浄化センターの1つ)
鴨居、走水、浦賀
浦賀(うらが)地区
船をつくったり、しゅうりする工場があります。
浦賀(うらが)港
たくさんのにもつが出入りしています。
観音崎(かんのんざき)
灯台(とうだい)と海岸の美しいところで県立公園(けんりつこうえん)となっています。
鴨居(かもい)小学校
1921(大正(たいしょう)10)年の「運動会」のしゃしんです。
公郷、小矢部、森崎
鶴久保(つるくぼ)小学校
外から教室をのぞきこんで、勉強のはじまりを待っている子どもたちのようすです。
大楠、長坂、武、長井
荒崎(あらさき)
美しい岩場(いわば)が続き、海辺のハイキングコースになっています。
大楠(おおぐす)・長井(ながい)
畑が、多く見られます。だいこん・すいか・キャベツ・みかんなどの多くのやさいやくだもの・花がつくられ、市内だけでなく、横浜や東京へもおくり出されています。
武山地区
農業(のうぎょう)がさかんです。
あめやおどり
江戸時代(えどじだい)のおわりごろ、安房上総(あわかずさ)(千葉県(ちばけん))から伝えられたといわれています。前は、いろいろないわいごとがあると行われていましたが、今は、長井(ながい)の熊野(くまの)神社のおまつりのときにほうのうされています。むかしの人
西(にし)
浄化センター(横須賀市4つの浄化センターの1つ)
岩戸、粟田、久里浜
久里浜(くりはま)地区
かんづめやれいとう食品をつくる工場や電気をつくる工場(発電所)(はつでんしょ)が見られます。
久里浜(くりはま)
だいじな電気は、横須賀の場合(ばあい)、久里浜にある火力発電所で作られているのがわかりました。南処理工場があります。えんとつの高さも、まわりのかんきょうを考えて高くなっています。
久里浜(くりはま)港
たくさんのにもつが出入りしています。
内川(うちかわ)新田
砂村新左衛門(すなむらしんざえもん)という人によって、1667(寛文(かんぶん)7)年、8年という年月をかけて、やっとの思いで、新田をひらくことができたのです。今は、家や工場などができて、そのおもかげを見ることはできませんが、「内川新田」という地名は、一部に残っています。
北下浦、津久井、野比、長沢
北下浦(したうら)
農業がさかんに行われています。
おんべやき
「おんべやき」のほかに、「どんとやき」、「サイト」、「セート」などとよばれ、かどまつやしめかざりなどを集めてもやし、1年間のぶじをいのります。
更新日:2023年11月01日 11:49:57